「藍暦鹿児島店」近況報告。

今日は、初めて高速バスに乗って鹿児島にやってきました。
経費削減の見本を示そうと割り引き枠での2650円での往路です。
多くの鹿児島店のお客と語られて有意義な時間を過ごせました。ありがとうございました。
これからも益々、「久留米かすり藍暦」を宜しくお願いいたします。

雑用に追われています・・。

今月になって雑用に追われております。
これからの「藍暦」に向けての作業ですので頑張ります。

来週に迫りました「藍暦・夏物新作現物展」の準備もラストスパートとなりました。
事前の問い合わせも多く、大勢のお客様にお出で頂ければ幸いです。

「久留米かすり藍暦」新作夏物現物展のご案内。

もう、来週に近づいた「藍暦」の夏物新作現物展のご案内です・・。
弊社の展示会は新作を現物にて提供するようにしています。受注になると、昨今の変化に跳んだ情勢の中、「こんなはずじゃ・・?」とか、「これって付けていたかしら?」とかのトラブルにもなりかねません。

それでも、通常は“現物”となると、新作ではないものが多いですが、「藍暦」は、現物展を
全て「新作」にてご用意しております・・。
2月の春物展ではお見せできなかった「夏物新作」を御覧頂けます。どうぞ、4月25日(水)に弊社展示会場にて皆様のお越しをお待ち致しております。

諫早湾潮受け堤防・・。(永遠と続く議論と道路)

日曜日、諫早湾の潮受け堤防を走ってきた・・。
広大な農業用地を作る為と、洪水被害を防ぐ為とかで自民党政権下で行われたものだ。民主党躍進の1つにもなった物件である。しかし、その後も水門は閉じられて有明海生態系の解明には至っていない。

なんと長い堤防だろうか?7km有るという・・。走っても走っても海の中である。(地図上は・・。)
直線なのでバイクでぶっ飛ばす人が多いそうだ。三分の二位の所に休憩所が有るが、佐賀側に向かっている写真は前方に「多良岳」をみる・・。

「久留米かすり藍暦」の拘り・・。 その4 (綿密な打ち合わせの先にあるのは・・?)

「藍暦」では、いろんな“打ち合わせ”を仕組んでいる。

企画、販売は素より、縫製、新作開発などなど・・その殆どが「営業」を
主体に回っていると言っても過言ではない・・。
「企画主体」というのは、弊社のような少数なスタッフでは無理だろう・・。

しかも、大人数でダラダラと会議時間ばかり長くて、売れない商品を作っているより、素早く、「サクッ!」っと要点だけを決める。会議という堅い名前は使わず、朝礼の延長に決める点だけ煮詰める・・。理想だと思うけどな・・。そこを何回もしていくうちに早く、的確に、綿密な内容に変化していくというものだ。
「物作り」の基本は「売れる」商品でなければ、幾ら有能な営業でも困るだろう・・。在庫ばかり残っては“安売り”ばかりしなくてはならない。

「営業」主体の企画は、常に“旬”を提供することになると信じている。私自身が今も営業の第一線で動いているから、尚更である。自分の目で見て、肌で感じることは、今も同じじゃないだろうか・・?

「拘り」という言葉の、「当たり前」をしている「藍暦」です。

清々しい「久留米かすり藍暦」の季節到来・・。(阿蘇・久住の爽快感・・。)

先日の休みにバイクで久住・阿蘇に行ってきた・・。
三週間前も行ってきたが、凍える寒さの中だったが、最近では、ようやく“清々しい”季節に変わってきたようだ。こうなれば一気に“芽吹き”が始まり新緑の季節へと移ってくる。

写真は「やまなみハイウェイ」の長者原。標高1100m付近であるが、名物の「野焼き」も済み、5月になれば、若葉の新緑で爽快な風景になるところだ・・。
季節は「春」から「夏」への準備を始めているようで、我々も頑張らないといけない。
「久留米かすり藍暦」では先にもお知らせしましたが、4月25日(水)重松株式会社本社
ショールームにて、「夏物新作現物展」を開催いたします。
どうぞ、「夏の新作」を御覧にお越しくださいませ。

「藍暦」の表紙は季節の“花”です・・。

やっと“春”って感じになりました。
綺麗な「花」も咲き乱れています・・。「藍暦」では、新作発表の際に、「花」をリーフレットの
モチーフにしてその「花言葉」でその季節を彩っています・・。
もう、ご存知の方も多いでしょうが、今年の「春・夏」は「チューリップ」です。花言葉は
「永遠の愛」「思いやり」
普段の生活でも花壇の「花」の“美しさ”に、「目」を向ける事、忘れたくないものですね・・。

「久留米かすり藍暦」の拘り・・。 その3  (久留米かすり製品の歴史と“藍暦の誕生”・・。)

今では、久留米の各メーカーは言うに及ばず、全国各地でいろんな「久留米かすり商品」が生産されているが・・この“ルーツ”はどこなんだろう・・?

私が自社に入って35年位経つが、当時は全国主要都市への「反物売り」が主だったように思う・・。
その頃、中央への反物売りが無かった弊社では、比較的安い反物を使って「モンペ」の製造をして販売したり、他産地の製品を仕入て地元の問屋事業を九州から中国地方まで販路拡大していたようである・・。

「モンペ」といえども、自社の製造工場を持っていて順調な販売をしていた。私も最初から、地元の筑豊、朝倉、浮羽、長崎方面と担当するようになり、“久留米商人”の基礎を叩きこまれた。
この頃からだろうか?少しづつ「手作り綿入れ袢天」にシフトを変更し、自社生産比率を一気に上げていったのは・・もちろん!販路も全国区になり、今では47都道府県の殆どに出張するようになったし、遠くは韓国、イギリスのロンドン、アメリカの西海岸にも送った記憶がある・・。

「袢天」の時代、「久留米かすり」を反物で売る商売も少しづつ減っていったのではなかろうか?段々と「着物離れ」や「委託販売」へと移行したような記憶がある。
この頃、久留米のメーカーや産地問屋は、「袢天」か?「久留米かすり」か?という二極化になっていたと思う・・。もちろん、弊社は「綿入り袢天」の製造・販売をフル稼働して工場も4つに増やしている。

時を同じく、「久留米かすり」の反物の変化が現れる・・。“製品化”の動きである!洋服にするには、糸、染め、柄、デザイン、伸縮率などの問題がある為、先人の苦労は大変なものだったろう。
最初の製品は大手の織屋さんが考案された「夏専用」のウェアだったらしい・・。

弊社の元専務も手裁断で、花柄のエプロンを数量限定で作っていたが、その残り布で、「かすりの袋」を作ったのが当時でも結構早かったように聞いてる。
でも、惜しいかなその時代に年中、「綿入れ袢天」の製造、販売に集中していた弊社の少数のスタッフには「かすりの袋」を量産するキャパがなかった・・。

今になっては・・あれだけ売れていた「綿入れ袢天」は急速に減少していく・・“住宅事情”や、“地球温暖化”など、問題も複雑だ・・。

ここに至り、弊社でも、新しい企画での「久留米かすり」事業の開始を始める。今の「久留米かすり藍暦」の誕生である・・。
他メーカーも数多く有り、産地としては最後の“ブランド化”では有ったが、最後だからこそ、“見えてくる”部分も多いし、リスクも最小に抑えることが出来たり、自分達の好きな部分を伸ばすことに集中出来るのも今の方が好条件が揃う・・。近々ではお客様の好みも多種多様になり商品力が問われるが、確固たる営業と企画スタッフの頑張りで更なるステップを確実に進めるような体制作りを目指しています・・。

「綿入れ袢天」も、昨年から今年に掛けては一気に売上を伸ばしている!“厳冬”と“震災仮設住宅”への需要である。少なくなったとはいえ、弊社の歴史を支えてきた重要なアイティムだし、確実な「ファン」を持っている優等生でもあり、これからも現在の数量を維持していくことだろう・・。

これからも「ありがとう」の気持ちを込めて「久留米発」の製品を発信していくつもりです・・。どうぞ、これからも宜しくお願い致します・・。

「久留米かすり藍暦」の拘り・・。 その2、(製品の裏側にもシッカリとした主張がある・・。)

「藍暦」のウェア製品は、「デザイン性、機能性、価格設定、付加価値」などを考えて営業スタッフと企画スタッフが協力して作っている・・。この事は重要でどちらか一方の意見が大きければ、売れ筋や、お客様の意見、独自の提案などがバラバラになってしまう。上手くバランスを取って仕上げてゆくのは「藍暦」ならではかもしれない・・。
「藍暦」の一番の拘り・・それは、ウェアの“縫製や最終チェック”である!ここの所が一番拘って大事にしているところで、いいデザインのウェアでも縫製が悪かったり、仕上げがお粗末では、製品力は落ちてしまう・・。
パートのおばさんが一枚をサーと2・3分で仕上げるのとは訳が違う。

“一枚一枚丁寧に縫い、仕上げる!”・・弊社の「物作り」の基本は祖父の「藍染め」から、先代の「綿入れ手作り袢天」製造を経て・・とその精神はシッカリと受け継がれている・・。