W杯 南アフリカ大会 (今夜、カメルーン戦・・。)

いよいよ今夜、4回目となるW杯の南アフリカ大会の初戦が始まる。
カメルーンは「不屈のライオン」と言われアフリカでも屈指の強豪だ。

どのTVのチャンネルを回しても、同じような内容で、速く「勝利」を挙げて  落ち着いてもらいたい。でも02年の日韓大会ほどの盛り上がりは無くなった・・。日本から20時間も離れていて、「治安」も悪い環境では現地に移動しての応援も儘ならない。今夜は夜更かしは覚悟しておこう!

「ハヤブサ」の帰還・・(7年の月日を越えて・・!)

日本時間の6月13日の深夜、オーストラリアの砂漠に火星探査衛星  「ハヤブサ」から分離した“カプセル”が無事、着地したらしい!
7年ぶりの帰還ということと、「月」以外の土壌を採取している可能性が有るという奇跡的な事実がもうすぐ明らかになる・・。

まぁなんと凄い出来事なんだろう・・!地球から60億キロ離れた「火星」の小惑星まで飛んでいって着陸して土壌まで採取してくるなんて・・!
しかも、相当な“トラブル”を何回も発生しながら、3年遅れの帰還は
「奇跡」というしかない・・!その後の報告を楽しみにしながら、日本の   “技術力”に拍手を送りたい・・。

「東海道新幹線」西へ…。PART 3


昨日は、「豊橋」よりホームグランドの「名古屋」に到着しておりました。
最近の「名古屋」の変貌は目を見張るものがあり、何時いっても新たな発見がある・・。

でも古いものだって存在する・・「納屋橋」から見た「名古屋城」へと続く
「堀川」である。江戸時代、城普請するとき作った“運河”で庄内川より流れているらしい。最近は若干だが“水”も綺麗になりつつあるようだ。


食べ物はこれで決まり・・!「手羽先」だ。隣に見えるのが、もうひとつの名物「味噌カツ」の串で、どちらも安くて美味い・・。

ハーレーダビッドソン・スポーツスター1200S 復活のプロローグ part 2

先日の事故より40日位経ったが、やっと「保険」のメドが付いたとの知らせが来た。
これから、部品の発注をしなくてはならないが、運良くスムーズに入ってくればいいが、ここでまた遅れると「夏」を通り過ぎてしまうかもしれない。  しかし、何度でも言うが「完璧」な状態に戻しておかないと後々、苦労するのは自分なのは分かっている・・。幸いな事に、両足の怪我も今週の「リハビリ」で治癒する見込みだ・・。さて、取りあえずは元に戻して様子を見ようということで、ディラーさんにも迷惑を掛けていることだし・・「カスタム」は  それからということになるだろう・・。「虫」が騒ぎだした・・。


ディーラーで静かに修理を待つ、愛車「1200S」です。久しぶりの再会だったが、キチンと他のハーレーと並べてあった・・。

新型の「ファットボーイ・ロー」だそうだ・・。低いポジションと精悍な「ブラック」に塗装されたところが“シブい!”

「将来の夢」という作文・・。

誰でも一度は書いたことがある「作文」の題名だろう・・。
昔から、書くことは好きだった・・。人より多くの本を読んだという記憶も無いが、小学生の頃から「SF物」、「世界情勢」、「軍事関係」など現在と、ほぼ同じジャンルのエントリーである。

最初は船員になって世界中の国に行ってみたかった・・。現在も国内は元より海外に行ったりして情勢を“肌”で感じることは大好きだ・・。

次に思ったのは新聞記者だった・・。事件と見るや、即座に現場に出向き取材をして読者に知らせる・・。なんとカッコいいし行動力がある「仕事」なんだろう!と思ったことか・・・“頭”があれば外交官にも憧れていたよなぁ・・。
まぁ、当時から欲張りではあったが、「成れる!成れない!」は別として私の性格と好きなジャンルは変わっていない・・。しかし、結局は家業を継ぐことを選ぶわけだが、商売人としての“資質”が人一倍強いのは後になって気付くことになる・・両親に言わせれば、実家が「久留米かすり」の  卸屋を営んでいたため、小さい僕らの遊び場は、いつも店先だった・・!
いつの頃からか、道行くお客さんに「今日は寄らないの?」とか、「寄ってよ!」とかの言葉を誰が教えたともなく言い始めたらしい・・。そうすると、用も無いのに、可愛い“私”からの誘惑に負けてお店に入るお客さんも多かったという・・!当時の家は風呂が無かったため、銭湯に行く道の脇が飲み屋街が続いていたらしく、店の“ドア”を一軒一軒「ノック」しながら「こんばんわ?!」と挨拶して困らせたようだ。当時から“夜の街”が好きだったようだね!
幼稚園に上がる頃には、一人で「バス」に乗り、母方の実家まで行っていた!とかのエピソードは事欠かない。

家業に入ることになっても、会社の中には私より先輩の番頭さん達が
数人いて大まかに教えてくれるものの、そこからは本人の「努力」だけだ。社長の息子だからといって特別ではないのはどこの世界も一緒だろう。いかに他の人に負けないで「結果」を残すのか?というのはいつの時代も同じではなかろうか?そこから「努力」をして「結果」を出したのは言うまでもない!
もちろん!これからも同じように頑張っていくつもりである。家業を継ぐということは人一倍「努力」をすることだし、そうならないと「部下」は付いてこないし育たない。結局、己の「仕事」を怠るとその「ツケ」もそれ以上に回ってくるということになる。理想論だけでは「人」も「物」も動かない・・。

私は、今では「まいど?!」という“声”にも年期が入ってきた・・。

「硫黄島からの手紙」と「真夏のオリオン」・・。

最近、この二作の映画を観た・・。

ふたつとも太平洋戦争を題材にした作品だ。「硫黄島からの手紙」は、
クリントイーストウッド監督作品で話題となった映画だが、悲惨な硫黄島
守備隊を届かない「手紙」を通しての日本側からの苦悩をよく描いている・・。
「真夏のオリオン」、戦争末期の太平洋でのイ号潜水艦の戦いを乗組員の決死の判断と操作で乗り切っていく物語だ・・。
かたや陸軍、海軍と分かれるが、その性格が強く出ていて面白い・・。両軍とも日清・日露戦争の戦術影響が続くなか、近代戦に乗り遅れたツケが
大きく表れた「アメリカ」との戦争だった・・。
特に陸軍は、この時代になっても「突撃?!」の肉弾戦か、穴を掘っての
持久戦しか思い浮かばない「脳無し」軍隊だ。卑弥呼の時代からずーと
土地や覇権を巡って戦い続けている日本民族だから、これは「身に染みついた」性なのかもしれない・・。
海軍は、作戦は立てるものの、イマイチ信頼性が無いものだから、途中で止めたり引き返したりする・・そうなれば近代戦を得意とするアメリカ軍の
思うつぼだよね!
しかし、当時から日本の潜水艦技術は世界最高水準だったらしくて、以前は同盟国ドイツからの技術提供もあったらしいが、終戦近くは「日本」独自の進化を遂げた。折り畳み式の戦闘機を三機も搭載してアメリカ本土まで行こうとした「イー400」シリーズや、人間魚雷「回天」を搭載した艦など、日本人の「我慢強い性格」と統率のある「団体行動」は潜水艦乗りには、バッチリ当てはまる!特に一度港を出たら隠密行動を必要とされることから比較的多くの潜水艦が日本には残っていたことだろう・・。

今でもその伝統は受け継がれており、「原子力動力」ではないけど最高の操艦技術で我が国近海の「海」の守りに就いている・・。

「桜島」の噴火・・(昼でも暗い降灰・・)。

昨日の「藍暦鹿児島店」からの連絡によれば、午後から「桜島」の噴火によって鹿児島市内に大量の降灰があったようだ・・。
慣れているとはいえ、最近の「桜島」は噴火の回数が増えているように思われる。
夏の風向きは残念なことに市内に向けてが多いらしく、これからの季節、噴火が続くことがあれば再び市内に降灰があることになるだろう・・。

ともあれ、自然の“力”には勝てません・・!少しでも噴火が無いように祈るだけです・・。
やっと、「久留米かすりの季節」になってきたところなのに・・・久留米でも二日続けての「夕立ち」で、特に昨日はバケツを引っくり返したような凄い豪雨が降っておりました・・。「政治」だけじゃなく「季節」も狂いはじめてきたのか・・?

末期症状・・。

先日もお話したが、物が売れないといろんな症状が出てくる・・。
「掛け率の乱れ」や「貸し出し」の無制限に始まり、価格帯まで落としてきたりする商品に限って、お寒いことに商品の「形」まで同じに出来ていたりする・・要はお構いなしだ・・。
ピークを向かえつつある「久留米かすり」も、これから様々な違った提案をしていかないと先行きは無くなるかもしれない・・。
しかし、「品質」を落とし「量」を捌けばいいものでもない・・。

特に「資金繰り」が厳しいところほど、形振り構ってはいられない状況に なってくると思うだけに、ここは一つジックリ様子を見ていくことにしよう。

「無駄な動き」をするだけ、余計に体力を使うことに成りかねない。と私的に思っていますが・・「理想論」だけじゃ物事は動かないし、「現実論」に耳を傾けないとこれからは大変になることは分かっているからね・・。
表向きだけの派手な「展示会」「演出」には、もう誰も振り向かなくなった・・。「時代」が変わっているのだ・・。