「将来の夢」という作文・・。

誰でも一度は書いたことがある「作文」の題名だろう・・。
昔から、書くことは好きだった・・。人より多くの本を読んだという記憶も無いが、小学生の頃から「SF物」、「世界情勢」、「軍事関係」など現在と、ほぼ同じジャンルのエントリーである。

最初は船員になって世界中の国に行ってみたかった・・。現在も国内は元より海外に行ったりして情勢を“肌”で感じることは大好きだ・・。

次に思ったのは新聞記者だった・・。事件と見るや、即座に現場に出向き取材をして読者に知らせる・・。なんとカッコいいし行動力がある「仕事」なんだろう!と思ったことか・・・“頭”があれば外交官にも憧れていたよなぁ・・。
まぁ、当時から欲張りではあったが、「成れる!成れない!」は別として私の性格と好きなジャンルは変わっていない・・。しかし、結局は家業を継ぐことを選ぶわけだが、商売人としての“資質”が人一倍強いのは後になって気付くことになる・・両親に言わせれば、実家が「久留米かすり」の  卸屋を営んでいたため、小さい僕らの遊び場は、いつも店先だった・・!
いつの頃からか、道行くお客さんに「今日は寄らないの?」とか、「寄ってよ!」とかの言葉を誰が教えたともなく言い始めたらしい・・。そうすると、用も無いのに、可愛い“私”からの誘惑に負けてお店に入るお客さんも多かったという・・!当時の家は風呂が無かったため、銭湯に行く道の脇が飲み屋街が続いていたらしく、店の“ドア”を一軒一軒「ノック」しながら「こんばんわ?!」と挨拶して困らせたようだ。当時から“夜の街”が好きだったようだね!
幼稚園に上がる頃には、一人で「バス」に乗り、母方の実家まで行っていた!とかのエピソードは事欠かない。

家業に入ることになっても、会社の中には私より先輩の番頭さん達が
数人いて大まかに教えてくれるものの、そこからは本人の「努力」だけだ。社長の息子だからといって特別ではないのはどこの世界も一緒だろう。いかに他の人に負けないで「結果」を残すのか?というのはいつの時代も同じではなかろうか?そこから「努力」をして「結果」を出したのは言うまでもない!
もちろん!これからも同じように頑張っていくつもりである。家業を継ぐということは人一倍「努力」をすることだし、そうならないと「部下」は付いてこないし育たない。結局、己の「仕事」を怠るとその「ツケ」もそれ以上に回ってくるということになる。理想論だけでは「人」も「物」も動かない・・。

私は、今では「まいど?!」という“声”にも年期が入ってきた・・。

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