日本三大名城の“熊本城” part 3 (加藤清正公の城普請・・。) 

1601年から「熊本城」を作り始めた「清正公」であるが、世の中は
関ヶ原の合戦の翌年であり、これより大阪の陣も始まる不安定な時期
だったことだろう・・。新領地「熊本」の整備も同時に行なわなければ
ならなかっただろうに・・。

(加藤清正公)

もちろん、ほぼ今の姿に成ったのは後の「細川氏」の時代になってからだろうが、基礎作りや外見は、「清正公」の時代に計画されていたのだろうか・・?

それにしても見事としか言えない・・!城を守る櫓石垣は高く、石の隙間も無く素晴らしい!
しかも至る所、石垣が組まれて堅牢な城になっている。普通の城なら
「天守閣」の規模を持つ「櫓」の数も多い・・!それほど堅牢な証拠だろう。

石垣にも工夫がなされ「武者返し」なる独特のカーブや、「石」や「鉄砲」を出す出窓も多い・・。

250m近くある長塀は現存する城郭の中では最長らしい・・!

1週間のうちに2回も名城を観ると、自分も「大名」に成ったような気分になる・・。とてもじゃないが続いていかないだろうが・・。

“秋の風 お殿様の夢のあと・・。”

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