「坂本龍馬」という時代・・。

昨今、某国営放送のお陰で大人気の「坂本龍馬」ではあるけれど・・実際は、司馬遼太郎さんの小説に依ってクローズアップされるまでは、どこの誰みたいな、さほど有名じゃなかったかもしれない・・。
もちろん!司馬さんのことだから膨大な資料の中から事実を基に編さんし、今日の我々が抱くような「龍馬像」に仕上げていったのかもしれないが、この仕上げ方が「日本人」の心に共感を呼んでいるのだろう!

・・しかし、私的には、この如何にも英雄的な態度や自由奔放な性格は好まない・・。幕末のどっちに転ぶか?解らない緊迫した状況の中、この破天荒な性格の男がどこまで入り込んでいったか?不思議だ!実は些細な事にでも敏感な性格の世渡り上手なのだろうか?かなり以前に話したが、私は「新撰組」の「土方歳三」の方が好きだ・・!時代の波に翻弄され、  落ち目の“幕府”に良いように使われ、それを最後まで信じ抜き、生き続けた生涯は“男”としてかなり魅力的だ!

「龍馬」的には近代国家を形成した後のことまで考えていて、しいては、  国外から見た「日本」のことまで考えていたのかもしれない。・・が、
「土方」はというと、「新撰組」を守ることが精一杯で、相次ぐ仲間達の
離脱で尚更、1人だけ追い込まれていった感が強い。必死で生き続けた  「執念」すら感じとれる・・。
しかし、「龍馬」は姿や性格は奔放でも、裏に秘めた最も大きな仕事は、案外英雄像とは程遠いかもしれない・・。何故?「長崎」で会社を興したか?ということだ・・。英国人「グラバー」から武器を買い付け日本中に売り捌いていた「武器商人」という顔を持っていたという・・。

そうした背景から、「暗殺」という結末を向かえるわけだが、いろんな所に「顔」を突っ込んで凄いことを言うが、裏では「武器」を売り捌く。私が「藩」の重臣なら一番やり難い相手かもしれない・・。だって、表と裏が違い、何処と誰と、どう繋がっているか?全く解らない存在だからだ。ましてや、時の形勢を左右する「新式銃」を敵に売られでもしたらと心配事は絶えないだろう・・。「薩摩」、「長州」、「土佐」ら雄藩だからこそ、そう思っただろう!そこまで考えさせられる「龍馬」という“男”が、もう少し長く生きていたならば・・「日本」は大きく変わっていたかもしれない・・。

しかし、何度でも言うが、「司馬先生」の物語中の「龍馬」が1人歩きをしているようでなんとも言いようがない・・。実際、こんなに「清々しい“男”」だったとはどうしても思えないのは私だけだろう・・か?
単なる、「福山龍馬」に対する“ヤッカミ”はあるかもしれないが・・。

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